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授業レポート

授業風景

通訳者・翻訳者養成の伝統校として知られるサイマル・アカデミーでは、段階的に学べる翻訳者養成コースを設置。独自に確立した学習プログラムにより、基礎力の完成からプロレベルの実力養成までを行っている。グループ会社と連携してOJTや就業の機会を提供し、キャリアアップのサポートにも力を入れている。

「米国経済白書」を課題に翻訳の基本姿勢を学ぶ

「産業翻訳・英日本科」は、原文を理解する力やリサーチ力を高めながら、簡潔で読みやすい訳文をつくるスキルを養うクラス。企業のアニュアルレポートや財務諸表、IMFなど公的機関の報告書、新聞記事などを教材に、金融・経済・経営分野の用語や表現を習得しながら産業翻訳のベースを築くという。

この日の課題は「THE YEAR IN REVIEW AND THE YEARS AHEAD」と題されたA4紙4枚。講師の沢田陽子先生が「訳そうとするものが何かを調べるところから、翻訳の仕事は始まります。今回の課題は何ですか」と問いかけると、「米国経済白書です」と声が上がった。

「そうです、もしくは『米国大統領経済報告』。一般教書、予算教書と合わせて三大教書と呼ばれます」

沢田先生はそう応じると、本白書の目的や執筆者(大統領経済諮問委員会)について説明し、こう続けた。「この白書は米国大統領が議会に提出するもので、読者は議員とその先にいる国民です。ただし日本で翻訳を読むのは、経済研究者や企業経営者ら経済に詳しい人たちが中心。訳すときに噛み砕いたりする必要はありません」

さらに、受講生たちが訳した表題が「2016年の回顧と今後の展望」とそれ以外に分かれたことを指摘。前者が外務省のホームページで使われている表現であることを明かし、「訳を見ただけでどんなリサーチをしたかがわかります。本白書は翻訳書が出版されていますが、公的で権威あるソースに依拠するのが鉄則。私たちも外務省版を踏襲しましょう」と述べた。

翻訳を始めるにあたり、まず何をすべきか。基本中の基本を、沢田先生はじっくり説いていく。

経済の用語やリサーチ術。訳し方のコツを伝授

課題の検討は1文ずつ進められる。指名された受講生が英文と訳文を音読し、沢田先生がコメントするという流れだ。
受講生がつまずきやすいのは、やはり専門的な用語や表現の訳。例えば、「実質家計所得の伸びは過去最速」(the fastest real median income growth on record)という訳に対し、沢田先生は原文の意味するところを確認した上で、「日経新聞をはじめ、経済の世界では『実質家計所得(中央値)の伸び率は過去最大』とするのが通例」と説明する。fundamentals を「基礎的条件」ではなく「ファンダメンタルズ」と訳すことについて、受講生から「日本語に訳すのかカタカナ表記でいいのか、何を基準に判断すれば……」と尋ねられると、「『ファンダメンタルズ』は日経新聞でも普通に使われる言葉。経済紙などをたくさん読み、知識を蓄える以外にありません」。“経済の世界で流通する言葉”に慣れることの重要性を訴えた。

日本語の巧拙も当然、指導の対象だ。「力強い労働市場と緩やかな生産高の伸びという不整合は」という直訳調の訳文に対しては、「訳しにくかったら発想の転換をする。この文も『労働市場が力強かったにも関わらず、生産高が緩やかな伸びに留まったのは』などと工夫できる」とコメント。そのほか、「原文に接続詞がなくても『また』『なお』『一方』などを補い、素っ気ない文の羅列にならない配慮が必要」といった助言もあった。

さらにリサーチテクニックも伝授。「世界経済見通し site:IMF.org」のように、「キーワード」と「site: 調べたいサイトのドメイン」を入力して検索すると、特定サイトに絞って調べられるという。ドメインを「.gov」にすれば国家機関のサイトに絞って検索できるそうで、「効率よく信頼性の高い情報を探せますので、ぜひ活用してください」とアドバイスした。

さまざまな観点から指導がなされた2時間。「米国大統領経済報告」という質・格の高いドキュメントを課題に、翻訳の基本姿勢をじっくり学ぶその内容は、翻訳に対する意識やモチベーションが一段も二段も引き上げられそうな、本格派の授業だった。

『通訳者・翻訳者になる本2019』(イカロス出版)より転載

沢田 陽子

翻訳者養成コース講師

津田塾大学卒業。英ロンドンメトロポリタン大学院応用翻訳学修士課程修了。英系証券会社、米系コンサルティング会社などを経て、フリーランスの実務翻訳者に。サイマル・インターナショナルの英日翻訳を手がけている。