今回の「訳せそうで訳せない日本語」は、「軌道に乗る(せる)」です。
「新規事業がようやく軌道に乗り始めた」などとビジネスや政治の場で使われることが多いようです。さてこの言葉、あなたなら英語でどのように表現しますか?
日本語での使用例
- 日米関係を良好な軌道に乗せるということが両国に求められている。
- 2011会計年度までには財政黒字になるような軌道に乗っているように見えた。
- 規制緩和が軌道に乗るのは難しい。
- 新製品の販売が軌道に乗れば収益も伸びるだろう。
- 景気の回復が軌道に乗るにはまだ時間がかかる。
訳例
- The U.S. and Japan are expected to make efforts to put our relationship on the right track.
- It seemed like we were on track to have a fiscal surplus by fiscal year 2011.
- It is difficult to get deregulation moving.
- Once the sales of the new products begin to pick up, higher revenues will follow.
- It will take some time until the recovery gets on its way/underway.
解説
広辞苑でみると「軌道に乗る」は「仕事などが計画通り順調に運ぶようになる」とある。そして「軌道」は「車などが通る道」であって地上では track, 空中あるいは宇宙では orbit である。いずれにしろ「軌道」という具体的なものを使った比喩表現だ。
アポロの打ち上げが盛んに行われたころは、人工衛星が「軌道に乗る」ということがよく言われ、その時は to enter orbit、あるいは to go into orbitという表現を使った。しかしこういった場合以外には orbit を使うことはほとんどない。したがって「軌道に乗る」は訳例 (1), (2) のように on track が標準だ。動詞と一緒では get on track あるいは put ~ on track この言い方を覚えておけば、たいていの場合は対処できる。
用例 (1) はあるシンポジウムでの松永元駐米大使の発言で、私が同時通訳していたのだが、to put ~ on the right track という classic な言い方を使った。20年ほど前のことだったと思うが、現代の安倍政権の課題とみても通用する。用例 (2) は、英語による発言例-訳例 (2) -の和訳である。原文は2009年度の日本経済の見通しに関する OECD の地域担当官 Randall Jones 氏による記者会見からとった。
比喩表現への対処法として、比喩の直接の対象になっている言葉(ここでは「軌道」)にこだわらずに前後関係からその意味をより自由に表現するという方法がある。たとえば用例 (1) の場合には put ~ on the right track の代わりに to improve や to fix とすることも十分可能だ。このほうがむしろ分かりやすいし、on track という表現がとっさには出てこないこともあるから、「原文にとらわれずに意味を取って訳す」というアプローチをいつも試みることが望ましい。訳例 (4) の to pick up も to improve の同義語だ。
訳例 (3), (5) では、to get moving, to get underway を使っている。to get は自動詞的にも他動詞的にも使えるから、「軌道に乗る」にも「軌道に乗せる」にも使える。ただし、「軌道に乗せる」と他動詞的に使うときには、to get the recovery underway のように、目的語を to get と underway (またはmoving) の間に入れる必要がある。
「軌道に乗る」表現色々
"to get moving"
"to get/put... on [the right] track"
"to get on its way"
"to get underway"
"to improve"
"to make headway"
"to make progress"
"to move onward"
"to pick up"
次回の表現
次回の訳せそうで訳せない日本語は、「地味な」です。
普段何気なく、「地味な色の服だ。」とか、「あの人は地味だけど、きちんとしている。」などと使っているこの言葉。あなたなら、どう訳しますか?
次回、お楽しみに!
※本記事は、2012年インターネット講座ブログで連載していたものを再構成しています。
小松達也
サイマル・アカデミー創設者
1960年より日本生産性本部駐米通訳員を経て、1965年まで米国国務省言語課勤務。帰国後、サイマル・インターナショナルの設立に携わり、1987年より社長、1998年から2017年3月まで顧問を務める。わが国の同時通訳者の草分けとして、G8サミット、APEC、日米財界人会議など数多くの国際会議で活躍。2008年から2015年まで国際教養大学専門職大学院教授。
1980年にサイマル・アカデミーを設立、以来30年以上にわたり通訳者養成の第一人者として教鞭をとり続け、後進の育成に力を注いでいる。
