今回の「訳せそうで訳せない日本語」は、「切り抜ける」です。
日本人ならではの、ある状況を脱することを思わせるこの言葉、あなたなら英語でどのように表現しますか?
日本語での使用例
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苦しい外国訪問だったが、よく切り抜けたと思う。
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日本は第二次オイル・ショックを非常にうまく切り抜けた。
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この苦境を切り抜ければ、あとはなんとかなるだろう。
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20世紀に人類は2つの大戦を切り抜けてきた。
訳例
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Those overseas visits were all tough, and I’m glad I got through them successfully.
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Japan emerged from the second oil shock very well.
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If we can tide over this difficulty, we should be able to manage the rest.
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Mankind lived through two great wars during the twentieth century.
「切り抜ける」の第1義は広辞苑によると「敵の囲みを破って逃れ出る」である。私たち日本人には、抜き身の刀を持った一人の侍が数人の敵に囲まれて何とか逃れようとしている、という時代劇のようなシーンが頭に浮かぶ。用例にあげたような状況とは大きく違うが、これがこの言葉の原意なのだ。侍や日本刀になじみの薄い外国の人たちにはイメージしにくいかも知れない。
この第1義を英語にしようとすると、cut one’s way through ~, あるいは cut の代わりに fight, battle, struggle などを使うこともできるだろう。しかし平和な現代では、「刀を使って敵の囲みを破る」ような勇ましい状況は想像できない。今の時代に我々が「切り抜け」ようとするのは、上の用例にあげたようないろいろな形の困難あるいは苦境だろう。用例としては上にあげた (1) から (4) で大体尽きるのではないかと思う。
用例 (1) は安倍首相の父で中曽根内閣の外務大臣を務めた故 安倍晋太郎氏の発言から取ったものである。「外国訪問を無事終えた」という意味なので、to get through を使った。get の代わりに go でもよい。この例に比べれば、息子の晋三氏は2度目の首相就任以来自信をもって楽しそうに外国訪問をこなしているように見える。有権者としては喜ぶべきだろう。用例 (2) は経団連(日本経済団体連合会)会長当時の稲山嘉寛氏の発言からの引用である。この場合は、「(オイル・ショックという)危機を克服する」という主旨から、「~から脱出する」という意味の to emerge from としてみた。1語の動詞として to overcome あるいは to survive もいいだろう。特に to overcome は「切り抜ける」、「克服する」という意味でいろんな状況で使える。
訳例 (3) で使った to tide over も私たち通訳者にとって使いやすい表現だ。 Tide は潮流、動詞として to tide over は「潮に乗る」、「苦境を乗り切る」という意味で、これまたいろんなコンテキストに当てはまる。特に同時通訳の場合は細かいニュアンスを訳しわける余裕がないので、この複合動詞は便利だ。この場合は他に to ride out (this difficulty) でもいい。
用例 (4) は「2つの大戦」という長い時期だけに to live through という複合動詞が使われている。このように「切り抜ける」という一つの日本語に対してもコンテキストによって多種多様な英語表現があり得る。それぞれ微妙にニュアンスが違っていて興味深いが、あまり考える時間的余裕のない通訳の場合には、表現の選択はなるたけ単純な方がよい。この意味で下にもあげるいろいろな表現の中で to overcome と to tide over の二つをお勧めしたい。このいずれかを使えば、ほとんどの場合は「切り抜け」られるはずだ。
「切り抜ける」表現色々
"to cut one’s way through"
"to emerge from"
"to fight one’s way through"
"to get by/out of/over/through"
"to live through"
"to overcome"
"to pass through"
"to ride out"
"to survive"
"to tide over"
次回の表現
次回の訳せそうで訳せない日本語は、「まとめる」です。
さてこの言葉、あなたならどう訳しますか?
※本記事は、2012年インターネット講座ブログで連載していたものを再構成しています。
小松達也
サイマル・アカデミー創設者
1960年より日本生産性本部駐米通訳員を経て、1965年まで米国国務省言語課勤務。帰国後、サイマル・インターナショナルの設立に携わり、1987年より社長、1998年から2017年3月まで顧問を務める。わが国の同時通訳者の草分けとして、G8サミット、APEC、日米財界人会議など数多くの国際会議で活躍。2008年から2015年まで国際教養大学専門職大学院教授。
1980年にサイマル・アカデミーを設立、以来30年以上にわたり通訳者養成の第一人者として教鞭をとり続け、後進の育成に力を注いでいる。
